今どきのオケ事情 NO.2 「楽器選び」
現在ホルンに限らず、管楽器について言えば使用率が最も高いメーカーはやはり「ヤマハ」でしょう。調査したわけではないですが、小・中・高の学校楽器はほとんどヤマハだからっていう理由です。私も小学3年生から大学2年生の終わりまで12年弱ヤマハユーザー。
理由は?@それしかなかったから・・・。 A当時は価格的に外国製は高価 B特に私の生まれ育った地方の楽器店にはヤマハかカワイしか展示していない 音の善し悪しは別にして、最近では10万円でおつりが帰ってくるフルダブルホルンなんてあったりしてすごい時代になりました。それにしてもヤマハ製の楽器は非常に吹きやすく、コストパフォーマンスも高い。初心者から上級者までをカバーするキャパシティを持ってるでしょう。ベルリンフィルの首席を長年つとめたゲルト・ザイフェルト氏や下吹きのクリアー氏もヤマハ製楽器を使用しており、ウィーンフィルにおいてもヤマハ製のウィンナホルンが使用されています。またちょいと変わったところではベルリンフィルの現・首席のシュテファン・ドール氏。氏は日常ではアレキサンダー社製の103を使用してますが、ヤマハのトリプルYHR891を使用し、アシスタントなしで見事にシューマンのコンチェルトシュトゥックを吹いたのは有名な話でございます。 さてさて私も現在では一丁前に名器・アレキサンダー社製・103のイエローを使いはじめて早10年。アレキ103と言えばベルリンフィルのホルンセクションで迷司会者ヴァレンドルフ氏の1103を除いては全員が使っているという代物。日本でも多くのプロ奏者の方が使用しており、アレキサンダー社製のホルンを愛用する奏者が集まり結成された「アレキサンダーホルンアンサンブルジャパン」なるものもあり、最近では「アレキサンダーホルンオーナーズクラブ」までできちゃいました。 私の場合はこの楽器を選ぶにあたって、あまり良い選び方ができてなかったなと振り返ってよく反省します。知識がないのは見たり、聞いたり、調べたりして短期間でも何とかなりますが、複数の楽器を吹いて比べた結果、違いは何となく分かるがいったいどれが自分に合っているのか、どれが良いのかを選択する判断力がないってのが楽器を選ぶ上で一番困るし、なかなか養われていくものでもない。ですから私の場合はプロ奏者の力を借りて楽器を選んでいったわけです。自分が吹いてばっちりな音程、ツボにはまっている楽器ってそう簡単に出会えるわけではないので、結局、平均的に音程や響きなどの要素をクリアーした楽器を自分で育てていくっていう形が実際のところではないかと思う。 大学2年生の10月の定期演奏会終了後、何か感じたんでしょうね。もっとうまくなりたい、もっと良い道具が欲しいって。根拠はない、ただ漠然と。早速楽器屋さんへ。 私「こんにちは、楽器を買おうと思ってるんですが・・(直球)」 店員さん「いらっしゃいませ、ご希望のメーカー、予算等おっしゃって頂ければ用意しますよ」っていう感じで、どういったら良いのか分からず私は固まってしまう。当時、ヤマハ、ホルトン、アレキサンダー、ホンスホイヤーくらいしか知らないし。 私「今、試奏できるのってどういうのがあります??」 そうしたら奥から出てきたのが、アレキサンダー103の黄色、赤、ホルトンの赤ベル、ヤマハのラボシンフォニーなどなど(だったかな)。結論から言って形が違うだけで「ほとんど同じに感じた(ToT)有意差が認められんぞ状態」、五分や十分パラパラ吹いただけでは素人には当然わかりにくいです。ただし汗っかきの私にはノーラッカーは無理かなくらい。当時インターネットなんて・・・の世界ですので、仕方がないのでカタログとにらめっこ。そして楽器屋に行って試奏、先輩や知人に色々相談みたいな感じ。酒の席でも先輩や同僚から「アレキ、アレキ、男やったらいくしかないやろう」。まあ何だかんだありましたが、明るい音が好きってことと、4番バルブがひっくり返っているのキュートだった、値段相応ってことながあるし(つまり高価だからいいだろう的な短絡的な思考)、背伸びしまくって、アレキの103が良いなあと。もちろん当時でもアレキの103と言えば最高級にランクされるほど価格も半端ではなかったんですが、当時1ドル=80円台でずーーっと推移しており、現在に比べれば定価にすれば40万円も安かったですし、買うなら今かなってのもあり、思い切ったわけです。 そこで念のためにプロオケの奏者に選定依頼と相談。そしたら「僕の使ってるアレキの200年モデルオール金メッキ13年もの、90万円くらいで買わへん??」という話が・・・。実はこの話の少し前に在京のプロオケ奏者の方から譲っていただいたクルスペオールドを持ってる後輩の楽器を吹いて感動してたものだから、プロ奏者の使っていたもの=基本的に吹きやすい、音が抜けている等、利点は多いので迷う。まあしかし値段が高価だったことと古さに不安を感じ「すみません、やっぱり103選んでください・・・」。ってことで色々相談した結果「○○君は黄色がええと思うよ、じゃあ今度音大生の子に10本くらいから103を1本選ぶから、余ったのの中から選んどくわ」ってことで(内心は、あまりものかよって思ったかどうかは・・・)。その時は10万円程度安価な黄色を選んでもらった理由が私にはよく理解できず、言うとおりに。選んでいただいた先生はオケのトレーナーとして来ていただいていたこともあったので私のスタイル、吹き方みたいなものは知っていたので特に疑いはしなかった。だいぶん時間が経って、自分の身体になじんできた頃にその意味が分かったような気がした。そんなこんなで念願の楽器を手に入れる。楽器を手にしてから大学の部室でパラパラ吹くがどうもしっくり来ない。特に何の疑問もなく鳴ってないだけや、鳴ってないだけやという思いこみで数週間後吹奏楽の演奏会へ出演。もうバテバテ、最悪な出来でしたね、無理して使うんじゃあなかったって後悔した記憶が今も鮮明に残っている。今まで使っていたヤマハのYHR-664Dに比べ遙かに強い抵抗感に自分が負けていたとも知らず・・・。 その年はチャイコフスキーのオンパレードだった、本番の嵐だった。チャイコのシンフォニー2,4,5番を5ヶ月余りで演奏、吹奏楽コンクール、ポップスコンサートに他大学オケエキストラにと楽器は大活躍とはいかなかったが、とにかく吹く機会だけはやたら多かったのが幸いし、アレキのもつ独特の強い抵抗感に苦労することは自然と無くなった、いや楽器が自分に馴染んだと言うよりは、ほぼ無理矢理自分が楽器に合わせたといってもいいでしょう。それから楽器に振り回される感を味わいながら演奏会に臨んでいたんですね、きっと。1本調子で色のない演奏しかできない自分との戦い。この楽器を選択したのは間違いだったのだろうかとまで思うようになっており・・・。 それから7年あまり時が経過し、2004年。私も社会人となってぼちぼち落ち着いて市民オケで活動していた。そのオケは入団して3年目、メンバーも徐々に充実しきてており、大学祝典序曲とドボ8の1stを一方では母校でラフマニノフの2番を。理由はよく分からないんですがこの頃から何かが変わった気がします。楽器が思うような音を出してくれるようになってきたんです。とは言ってもどこにでもいるアマチュアレベルですから大したものではありませんが、演奏会の音源を聞いても明らかに変わっている。1つ言えることは弱奏が無理なく演奏できるようになってきたこと、音がやせなくなったこと。これらの要素が演奏の質が変わったことと何か関連していると思いますし、演奏に色が出るようになってきた裏付けかなと思います。楽器に育てていただいた感は大いにありますし、この楽器じゃなかったらまた違う方向性の演奏をしていたこもしれません。 まとまりが全くなくなりスミマセン、あまり推奨できない私の楽器選びでした。 |